

龍井村局印は満州国年号の康徳元年(1934年)10月10日です。横長(平体)ゴチック体の省名「吉林省」が右書き、局名「龍井村」は楷書体で左書き、つまり省名と局名が左右バラバラ書きです(下図の左)。当時の正書法は右書きなので、明らかに局名の方がエラー(誤刻)です。
丸二型印の「元年」は、康徳元年より3年前の大同元年(1931)ということも一応は考えられます。しかし、大同元年10月中はまだ中国郵政の旧印を流用中で、丸二型印の影もありませんでした。当時の情報によると、東京の築地活版所で新たな丸二型印の印顆が出来たのは31年10月末ごろです。現地への発送は11月以降、一斉に使用が始まったのは翌年(大同2年)1月1日からとなりました。


王爺廟局の丸二型印に左書きのものがあることは、既に織田三郎氏が「満州国の省名入り丸二型日付印について」(『関西郵趣』1978年9月号)で報告しています。単片上の一部局名だけが示されました。完全印影は今回が初めてのようで、省名、局名共のダブルエラーだったことが分かりました。
このようなエラー印は、受注した印判業者あるいは活字製作会社のまったくのうっかりミスでしょう。ことに初期は築地活版所で印顆の印枠と省名、日付活字を製造し、局名活字については水牛印材を満洲に送って現地で手彫りしたといいます。ゴチック体と楷書体、右書きと左書きが混じる龍井村局印にはそうした背景がありそうです。
王爺廟局の場合は同一業者が省名、局名活字の両方を同時に製作したはずです。となると、同時期の興安省で王爺廟以外の局ではどうだったでしょうか。省名だけ左書き印、省名・局名とも左書き印がもっと他にもあるかも知れません。