2020年10月13日

北支有事へ朝鮮軍先遣隊

大邱-1.jpg大邱-2.jpg朝鮮の釜山局で昭和12(1937)年7月27日に引き受けられた軍事郵便です。普通、釜山局消印の軍事郵便は内地で動員されて大陸へ派遣途中の部隊からと決まっています。しかし、この書状はアドレスにより朝鮮内の大邱の部隊からなので、事情が一変します。

37年7月7日に起きた盧溝橋事件は日中戦争への引き金として知られますが、当初は偶発事件とされ、「北支(華北)事変」と呼ばれました。現地の支那駐屯軍と中国側との交渉で事実上は収拾されていたのです。それが陸軍内「拡大派」の策謀で近衛内閣が7月27日に内地3個師団を送る閣議決定をしたため、本格的な戦争に発展してしまいました。

--おおかたの通俗的解説書ではこのように説明されています。しかし、陸軍にはかねて「北支有事」が起きたら関東軍と朝鮮軍から各1個師団を応急派兵する計画があり、それが半ば自動的に発動されてしまいました。内地師団の動員当日にはすでに先遣隊が北平(北京)地区で中国軍に総攻撃を仕掛けていたのです。

先遣隊として朝鮮軍はまず7月13日に第20師団(竜山)を動員し、関東軍も派遣のための独立混成旅団2個を新編成しました。20師団は歩兵4個聯隊と騎兵、野砲兵聯隊が主力で、19日までに天津に集結しています。その部隊の1つが大邱駐屯の歩兵第80聯隊でした。先の書状の発信アドレス「大邱歩八〇」が、まさにそれです。

日中戦争では37年8月2日付逓信省告示第2226号で軍事郵便が正式に開始されました。注目すべきなのは、この書状が軍事郵便適用1週間前の7月25日に発信されていることです。先遣部隊の郵便は8月2日の前日までは有料のはずですが、この書状により実際には無料軍事郵便が先取り実施されていたことが分かりました。

8月以降の動員部隊の軍事郵便発信アドレスは「北支派遣〇〇部隊」と部隊長名で表記されるのが普通です。この書状には派遣方面がなく、直後から禁止される正式な部隊名(歩兵第80聯隊)を表記しているのが大きな特徴です。天津地区から戻る陸軍輸送船に搭載されて釜山に運ばれたと見られます。日中戦争の軍事郵便として最初期使用例になります。

発信者が所属する「山本部隊」は不明です。歩80「気付」とあるので80聯隊を構成する大隊や中隊名などではなく、動員に当たり聯隊に配属された小部隊を表すようです。なお、発・受信者は戦前・戦後にわたって活躍した高名な収集家兼ディーラー父子と見られますが、郵便史的には無関係です。
posted by GANさん at 01:57
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