2021年02月08日

樺太拓殖博記念絵はがき

樺太1.jpg樺太庁が発行した記念絵はがきと思われるセット(左図の上はそのうち1種)を近年のヤフオクで入手しました。島田健造氏『日本記念絵葉書総図鑑』(2009年復刻版)には採録されていないので、新発見となる可能性があります。

樺太の風光や産業を撮影した写真版で、青色4種、セピア5種の計9枚ですが、E6A8BAE5A4AA4.jpg青色1種が欠けていると思います。表面(宛名面=左図の下)には「郵便はがき」と英文「POST CARD」だけで、「〇〇記念」といった発行目的を示す表記はありません。裏面(絵面)に写真説明(後述)と並んで「樺太廳發行」と発行者名が印刷されています。

この絵はがきはすべての絵面に櫛型印を模した樺太1-2.jpg「樺太/1.10.1/拓殖博覧会記念」の紫色スタンプ(右図の上)が押されています。印刷したような鮮明印ですが、1枚ごとに押印位置や傾きが異なるので印刷ではないようです。さらに、ほとんどの絵はがきでこの紫色印の日付部分だけを隠すように黒色スタンプが再押印されています(右図の下)。
樺太2-1.jpg
「拓殖博覧会」は今日では死語ですが、戦前の大日本帝国時代には多用されました。各植民地での開発(拓殖)進展ぶりを内地(日本本土)国民に示して国威発揚を図る大がかりなイベントでした。内地からの移住促進も大きな目的だったはずです。呼び物は現地を再現するジオラマで、産出品の現物や風物写真の展示が中心でした。こういった点から、この絵はがきは樺太庁が管内事情を広く紹介するために10種1組袋入りで発行したと思われます。

大正元(1912)年10月1日から開かれる拓殖博覧会の会場パビリオン内でこれが発売される予定でした。ところが、印刷完了後にその趣旨の表示が欠けていることに気付きます。刷り直しを避ける窮余の策として、スタンプの加捺でそれを補い、急場をしのぎました。

しかし、計算違いが起きます。用意した絵はがきは売り切れるどころか、逆に大量の売れ残りを出してしまいました。樺太庁は次に開かれる拓殖博での再利用を図ります。日付を巧みに消し、いつの拓殖博でも使えるようにしました。--という、以上2段落はGANの単なる推測です。

樺太3.jpgこの9種セットとは別に、1枚だけ単独で入手した紙厚の薄いもの(右図)があります。厚手の9種セットの方は紙厚0.3㎜ですが、薄手のこれは0.2㎜です。用紙を替え、印刷が2回行われたことを意味します。

また、同図案を青色とセピアで刷ったものが2組ずつあり、どの図案も色違いの2色で印刷されたことを示唆しています。全貌は分からないものの、なかなかバラエティーの豊富なシリーズです。

樺太3-2.jpg樺太3-1.jpg薄手の絵はがきには紫色と茶色のスタンプが押されています。紫色印(右図の左)は厚手と同じ文言ですが、形式が丸二型類似です。茶色印(右図の右)も丸二型類似印ですが、日付は「2-4-21」で博覧会名に「明治紀念」が加わり、E欄部分には「大阪」と入っています。

これらから、大正2年4月に大阪で開かれた明治紀念拓殖博でこの絵はがきが再利用されたことが推測されます。先に示した二重スタンプで日付部分を抹消した絵はがきセットが大阪でも売られた可能性はありますが、断定は出来ません。

絵はがき9種に付けられている写真説明は次の通りです。
・樺太廳立豐原小學校運動會、樺太ノ森林、樺太畑地ノ開墾、樺太海馬島(以上青色)
・樺太廳立豐原小學校運動會、樺太ノ森林、樺太産蔬菜類、樺太漁場生鰊ノ貯藏、樺太農家
 ノ収穫(以上セピア)

なお、これらの絵はがきが「大正」ではなく、「昭和」に発行されたのではないかとの疑いも起こり得ます。しかし、これは「大正」で正しいと思います。2種の紫色スタンプの日付「1-10-1」が根拠です。大正元年は7月から12月まであるのに対して、昭和元年は12月しかないからです。
posted by GANさん at 21:35
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