2021年03月19日

空襲警報ノ為送信遅延ス

空襲警報.jpgは滋賀県高宮局で昭和20(1945)年4月7日に引き受け、同じ県内の木之本局に宛てた電報頼信紙です。午前9自23分に受け付け、午後1時34分に送信したことが分かります。同局のこの前後の頼信紙を見ると、普通は受付後5分か10分ぐらいで送信を終わっています。この時だけ仕事が立て込んで、後回しにでもされたのでしょうか。

実は、その釈明が1行半の電文に続き、その左側に書き込まれています。
  空襲警報ノ為遅延ス
記入を証明するため、扱った局員の認印がその下に押されています。
空襲警報2.jpg
恐らく、この賴信を受け付けている最中、あるいはその直後に米軍機の来襲を知らせるサイレンが鳴ったのです。警報が出たら携行できる周辺の重要品だけ持って、すぐに避難しなければなりません。警報発令の間、局員らは全員が防空壕に駆け込んで退避していたのでしょう。幸い局舎は被害を免れたとしても、事後の片付けや整理などで執務再開までに大変な時間がかかったのです。
電報配達改.jpg
当時の日本はサイパン、硫黄島と相次いで失陥し、これらを基地とする米軍機により日常的に無差別爆撃を受けていました。召集と徴用で男性局員の姿が薄れ、電報配達などの外勤業務を女性が任されることもあるような時代(右図は当時の絵はがき)です。

「空襲警報ノ為‥‥」は恐らく規則で定められた書式ではなかったでしょう。しかし、担当職員は「決して仕事をサボって時間を空費したのではない」と個人の責任に於いて証明したかったのだと思います。この局員が自己の職務に忠実に、誇りを持って従事していた状況がうかがわれます。

ところで、この頼信紙を郵便史のマテリアルとして展覧会に出したら、どうなるでしょうか。オツムの固い日本の審査員は「料金、逓送路、消印の3要素のどれとも関係ない」の決まり文句で減点対象にするでしょう。しかし、もしGANが審査員だったら、「よくこんなブツを探し出したね」と努力点を加点します。

太平洋戦争敗戦の直前、「本土決戦」の掛け声が空しく交わされて日本全体が大混乱に陥っていた時期、郵便局での執務状況がどういうものだったか。それを生々しく伝える現物史料として評価すべきだと思います。
posted by GANさん at 03:36
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